Profile
セラピスト紹介
子どもの頃の憧れの職業は、客室乗務員(今はCAですね)。
しかし夢破れ、旅行会社・外資系メーカーを渡り歩くことに。
美容の世界に飛び込んだのは、
1回目の離婚後の25歳の時。(23歳若気の至りで結婚!)
客室乗務員の夢が破れてからは、仕事に対するこだわりを持てずにいたので、
「一生続けられてワクワクできる仕事」をしたいと強く思い、
未経験で美容の世界に足を踏み入れました。
“未経験”から美容の道へ
スタートは、とある化粧品メーカー。
遺伝的に超が付くほどの敏感肌で、触れただけで赤くなりやすく、二の腕のぶつぶつ(毛孔性苔癬・もうこうせいたいせん)にも悩み、皮膚科通いが欠かせない生活でしたので、使える化粧品も限られていました。
国内外問わず、様々なメーカーのものを使いましたが、ひどいカブレを起こすものもあり、正に『化粧品ジプシー』状態に陥っていました。
そして、24歳を迎えた頃、たまたま知人が使っていた化粧品と相性が合い、1年程度使い続けていたところ、その化粧品メーカーの求人が目に留まり、30倍と言う求人倍率を乗り越え、私の美容道がスタート!
吉田縁江(よしだよりえ)
1968年北海道生まれ
千葉県市川市育ち
ふたご座、A型
“イバラの道”だった美容の世界
しかし、美容学校へ通っていた訳では無かったので、そこからはイバラの道。
毎日、寝る間を惜しんで猛勉強(受験勉強以上に)し、美容の知識・技術・人前での話し方等を身に付け、化粧品メーカーの美容インストラクターとして、生き甲斐を見出せるまでになりました。
毎月、国内外を問わず出張もあり、責任ある仕事も任され出世もし、「人に必要とされる美容業界の仕事は楽しい!」と心底思えて充実した20代に。
“美容専門学校講師”という新たなステージへ
その後、プライベートでの大きな環境の変化(出産)のタイミングと合致して、勤務していた化粧品メーカーが厚生労働省認可の美容専門学校を設立することになり、美容専門学校講師という新たなステージが始まりました。
授業では、エステティック・メイクアップを受け持ち、担任業務・進路指導・校内エステサロンの企画運営なども担当。
さらに、仕事・育児(当然ながらワンオペ)と並行して、エステティック国際資格・メイクアップインストラクター資格を取得するために、怒涛の様な時間に包まれることも。(今では考えられません)
美容のプロフェッショナルへ
そして、娘が5歳になる頃、親族の口利きで2度目の結婚が決まり、12年もの間、美容業の礎を築いてくれた会社を退職し、37歳で人生をリスタート。
それからは、美容皮膚科クリニック・エステティックサロン・タラソテラピー施設での勤務・美容セミナー講師等の経験を重ね(加えて2度目の離婚も経験(結婚向きではないと悟る))、46歳にしてフリーランスの美容家として独立し現在にいたります。
美容家としてのポリシー
美容家としてのポリシーは「人間が本来持ち合わせている体や肌の機能を、化学的な物に頼らず高める」と言うこと。
これまで行ってきたエステティックでも、即効性のある成分を利用した化粧品や刺激の強い電子機器は敢えて選ばず、スキンケアやメイクアップ製品も、ミネラル等の自然成分が主に含まれているアイテムを推奨してきました。
目から鱗が落ちた【頭皮をほぐす】という手技
そして50歳を過ぎたある頃、ホルモンバランスの乱れによる不眠に悩まされ、頭痛が日常的に起こる様になり、「ヘッドマッサージ専門店」が目に留まり、とあるサロンの扉を叩くことに。
そのサロンでの施術は、当サロンの手技メソッドの礎となる技術なのですが、「肩・首が軽くなり、頭の中がスッキリして、目が施術前よりパッチリして、フェイスラインがシュッとしてる!」と感じ、「頭についての知識と技術を学ぼう」と決意し現在に至りました。
頭皮をほぐすと、自律神経のバランスが整い、本来持っている体の様々な機能が向上する、と言われています。
「たるみの解消」という美容的な側面のみならず、肩・首の痛み、眼精疲労、不眠等の解消にも繋がります。
頭皮ほぐしを通して、加齢や痛みに悩んでいる方のサポートをすることに、これからも力を注いで参ります。